「現代アート」改め「西洋芸術」とする。

現代アートという言葉が前からひっかかっていた。

ごく広義には現代を生きる作家全ての作品を指す言葉だが、普通はもっと狭義のデュシャンの多種多様な末裔達を指して使われる言葉ではないだろうか。

 

もちろんグローバリズムだ何だで必ずしもそういった意味ではないのだが、この「現代のアート」という言葉何とかならないのだろうか。

結局それらは西洋のルールに基づいたアートでしかないからだ。

 

これからのアートは「頭脳的に進化する」といった類の言説を聴く時に常に感じる抵抗はきっと私がどこまでいっても骨の髄まで日本人(東洋人)である故だろう。

彼らの言う「頭脳的」とは「言語的」と言い換えれると私は思う。

彼らの言語性と日本人の持つ精神性は非常に離れたところに位置している。

コンセプチュアルアートは純度が上がる程に言語性に依存する割合が高まる。それらを日本人である我々が真の意味で理解する事はないのではないだろうか。

 

大陸の人々は侵略戦争の応酬で国や民族が違えば、同族の間で共有していた暗黙の価値観が通用しない事を痛いほど知っている。それ故に他の民族とのかけ橋として「言語」を重要視してきた。

反対に日本のような国はそうした必要性に迫られる事がなかった為、精神性を非常に高度に育てる事ができた。(初対面の人とのコミュニケーションを思い浮かべればよい。得体の知れない相手とは多くの言葉のやりとりを必要とするが、相手の事を深く知るにつれ言葉よりも表情やちょっとした仕草でコミュニケーションが成立するようになる。日本の歴史はこの過程に似ている)さらに宗教観の違いが加わる。

 

狭義の「現代アート」が持つ言語性の高さから「言語芸術」等と言い換えたいと思ったが、必ずしもそればかりではないという意見も確かなので「西洋芸術」とするのが最も妥当ではないか。(もしも現代アートが古典からピカソを経て現在まで脈々と続くものだと言うのなら殊更に「現代」とつける必要は当然ない。アフリカ等の芸術も西洋的価値観に沿って紹介されてきたものは西洋芸術と言えよう。)

 

では日本の前衛と言われた人達や現在のいわゆる「現代アーティスト」として紹介される人達は何と呼ぶか。これらの人々は「東洋芸術家」として扱うべきだろう。日本育ちの彼らが真の意味で西洋の「言語性」を理解する事はないからである。それらは精神性という捨て去る事ができない土台の上に築かれた「言語性」だからだ。

 

近代と現代、つまり「過去の芸術」と「現在のアート」の対立ではなく「西洋」と「東洋」の対立なのだ。これを混同してしまう事が物事をややこしくしているのだろうと感じる。

 

 

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