「技」

(走り書き)

絵は誤差

技は誤差

精神性は技に宿る

論理構築の思考もまたひとつの技である

思考は言語のみによって成るのではなく、むしろ他の占める割合の方が高い

 

私は誤差を期待している。誤差とは新たなものとの出会いだ。その出会いは新しい思考を産み出すきっかけとなり、次の誤差を呼びよせる。

制作とは誤差を産むこと。

制作とは思考そのもの。

作品とは誤差の結晶でそれは当初、私の脳にあった芽生えとはまったく異なる新しいもの。

 

自らの手より自らも知らないまったく新しいものと出会うこの奇跡を制作と呼ぶ。

 

自然はいつでも人の前に未知であり豊富なきっかけを与える。

自然から独立しただひたすらに(音も光もない)脳内のみによって思考をするなら新しいものは何一つ産まれないだろう。

 

字を書くという行為

ピアノで音を鳴らすという行為

キャンバスに絵具を塗るという行為

コンピューターでプログラミングをするという行為

90分間グラウンドを駆け回るという行為

 

それらは全て思考なのである。

これら言語で説明する意外の思考を私は「技」と呼び

誰か偉大な先人の「技」と対話する為には自身もそれに見合った「技」を身につけている必要があるのだ。

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コメント: 2
  • #1

    sextelefon (火曜日, 31 10月 2017 21:52)

    dorósłszy

  • #2

    sex tel (水曜日, 01 11月 2017 00:51)

    dwuwypukły

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